昨年は里芋と山芋を皆さんにお届けできませんでした。ごぼうも年末にお届けできなかった人が出てしまいました。申し訳ありません。酷暑により里芋が枯れ、ごぼうが消え、手を入れられなかった山芋が草にのまれていきました。
じゅうぶんな量がとれるよう、播種期をずらす、間引きを適期にするなど栽培を工夫し、こまめに手を入れて、今年は芋煮ときんぴら、とろろご飯がたらふく食べられる年にしたいです。
干ばつやゲリラ豪雨が、普通のことになってきました。そんななかでも納得のいく野菜をつくり続けるにはどうすればよいか…。日々考えながら、農作業に取り組む一年になると思います。
本年もどうぞよろしくお願いします。(友亮)
真っ暗な街で
正月早々、ぐらりとした揺れに2011年のあの日を思い出す。当時学生で仙台にいた私は、停電でテレビもつかず、携帯で連絡もとれず、大津波が海岸を襲っていることなどなんにも知らずに、仲間と一緒にいつもと違う真っ暗な街を歩いて、夜空の星の明るさに驚いた。
5日ほどしてようやく埼玉の実家に帰りついてからも、ガソリンがなかなか買えなかったり、輪番停電で真っ暗になる時間があったり。街へ出ても節電でどこもかしこもうす暗くて、でも被災した人にくらべたらこれくらいなんてことないよなんて、不便を不便とも思わないで、とにかく祈るような日々、そんな雰囲気だった。
そして起こった原発事故。大きく揺れたのは地面だけでなく、これまでの自分が当たり前と思っていた常識や価値観もだった。
いつでも蛇口をひねれば水が出て、スイッチを押せば電気がついて、お金を出せばなんでも買える。ものは溢れ、いらなくなったらすぐに捨てて新しいものを買えばいい。そうすることで経済が回る、日々成長していく。キラキラピカピカとした暮らし。
あれ、これでいいんだっけ。この世界って、この社会ってなんかおかしいのでは。と、あの日を体験して疑問を持った人がたくさんいた気がする。より確かなものを求めて、暮らしを変えたり、地方へ移住していった人も。
けれどいつの間にか街にはピカピカが戻っていて、それは幸せなことだったのだろうか。本当に戻ってよかったんだろうか。私たち、気づいたら何もなかったかのようにピカピカを目指す社会に取り込まれてはいないだろうか。そのために、犠牲になってはいないのだろうか。誰かを踏みつけてはいないだろうか。
あの真っ暗闇の夜、もちろん不安はあったけれど、少しの食べ物と、大事な人が元気でいてくれているということだけでもうじゅうぶんで、たくさんのものは必要ないんだと、そう思ったことも思い出す。
私たちが育てる野菜は決して社会を変えるような特別なものではないけれど、誰かと少しずつ分かち合ったり、食べた人の心や体をちょっとだけあたためる、そんな食べ物として、ささやかながら役に立てたら幸いです。(照手)